家庭常備良藥的歷史…
與帝國主義有關係啊。
以下來自日文版Wikipedia。我的翻譯練習(幸好這不是要拿去貼Wikipedia或是出版的,不然這樣的翻譯水準,太可怕了):
明治の初め、日清戦争において不衛生な水源による伝染病に悩まされた帝国陸軍は感染症の対策に取り組んでいた。陸軍軍医学校の教官であった戸塚機知三等軍医正は、1903年にクレオソート剤がチフス菌に対する著明な抑制効果を持つことを発見する。(ただしこれに関しては異説もあり、正露丸の元祖を自認する大幸薬品は陸軍よりも一年早い1902年に大阪の薬商である中島佐一氏が正露丸を開発し販売を開始したと主張している。)
明治初年,日本帝國陸軍為日清戰爭時因水源不潔而生的傳染病問題所苦,對此一直在尋找對策。三等軍醫戶塚機知(Michitomo Totsuka)是當時的陸軍軍醫學校教官,於1903年發現,使用雜酚油(creosote),對於傷寒菌有顯著的抑制效果。(但是關於這一點,另有一說,自認為正露丸始祖的大幸藥品主張,大阪藥商中島佐一〔Saichi Nakajima〕比日本陸軍要早一年,也就是1902年,便開始了正露丸的開發與販賣)。
ドイツ医学に傾倒していた森林太郎(森鴎外)ら陸軍の軍医たちは、チフス以上に多くの将兵を失う原因となった脚気もまた未知の微生物による感染症であろうという仮説を持っていた。そのため強力な殺菌力を持つクレオソートは脚気に対しても有効であるに違いないと考え、日露戦争に赴く将兵にこれを大量に配付し連日服用させる事とした。ちなみに当時の陸軍におけるこの丸薬の正式名称は「クレオソート丸」であり、征露丸はあくまでも俗称である。「征露」という言葉はロシアをやっつけるという意味で、その当時の流行語であった。
立場傾向德國醫學的森林太郎(Rintarô Mori,亦即小說家森鷗外 [Ôgai Mori])等陸軍軍醫則持一種假說,他們認為比傷寒造成更多官兵折損的原因,是腳氣病以及未知的微生物傳染病。他們認為,具有強力殺菌力的雜酚油,對於腳氣病是有功效的,於是便令前往日俄戰爭的官兵,大量配給服用。倒是,當時在日本陸軍正式名稱為「雜酚油丸」的藥丸,一直有著「征露丸」的俗稱。所謂「征露」就是打敗俄羅斯的意思〔日文稱俄國為露國〕,在當時是相當流行的用語。
しかしまだ予防的投薬という概念も一般には浸透していない時代のこと、特異な臭気を放つ得体の知れない丸薬は敬遠されてなかなか指示通りには飲んでもらえない。そこで軍首脳部は一計を案じ、その服薬を「陛下ノゴ希望ニヨリ」と明治天皇の名を借りて奨励することとした。この機転によってコンプライアンスは著しく向上し、下痢や腹痛により戦線を離脱する兵士は激減したといわれる。しかし当然のことながら軍医の期待した脚気菌(当然そんなものは存在しないのだが)に対する効果は一向に現れず、戦意高揚を重視してビタミンに欠ける白米中心の美食(当時としては)にこだわった陸軍は日露戦争においても全将兵のおよそ3人に1人に相当する25万人が脚気に倒れ、27,800人もの尊い生命がこの病のために異国の地で失われることとなった。(ちなみに早くから脚気が栄養障害に起因する疾患であると見抜き、糧食にパンや麦飯を採用していた海軍は脚気による戦病死者を一人も出していない。)
但是,當時還並不是預防用藥的概念已經普及的時代,因為該藥丸會散發惡臭,又不知是什麼藥,因此人們對該藥敬而遠之,並未照著指示服用。陸軍總部出了一計,便是借明治天皇之名,稱服藥是「天皇陛下的御期望」,來獎勵服藥。據稱此一措施,使得命令較受遵守,因為下痢或腹痛而離開戰線的士兵人數也驟減。不過,這當然不是軍醫們所期待的那樣,軍醫們預期用藥對腳氣菌(這種東西當然並不存在)產生效果,但從來沒有發生過。陸軍為了提升士氣,而弄來欠缺維他命的白米做為美食(以當時標準來說),結果讓全體官兵,每三人就有一人,也就是約25萬人病於腳氣病,27,800尊寶貴的生命因此並而葬送在異國土地上。(倒是,很早就因認識到腳氣病是起於營養失調,因而供食麵包與米麥混食的海軍,沒有一個人是因腳氣病而喪生於軍隊裡。)
このように脚気に対してはまったく無力であったものの、征露丸の止瀉作用や歯髄鎮静効果は帰還した軍人たちの体験談として多少の誇張も交えて伝えられ、また戦勝ムードの中でネーミングの秀逸さも手伝い「ロシアを倒した万能薬」は多くのメーカーから競い合うように製造販売され、日本独自の国民薬として普及していくこととなる。またその薬効のあらたかなるところは戦前の日本勢力圏においては広く知れ渡っており、現在もなお中国や台湾、韓国なとアジア諸国からの渡航者の土産物として珍重されているという。
如此對腳氣病完全無作用的征露丸,因為有止瀉和鎮靜牙痛的效果,反而在返國的軍人間,多少被誇大而流傳開來,又因日本在戰勝的情緒中,征露丸有著「打倒俄羅斯的萬能藥」之響亮名號,讓許多藥廠競相製造販賣,變成了日本獨有的國民藥。又因為藥效靈驗,二次大戰前便開始在日本勢力圈內廣為人知。現在於中國、台灣、韓國等亞洲諸國,被當成旅行者帶回的土產一般地受到重視。
日露戦争ならびに第二次世界大戦終結後、国際信義上「征」の字を使うことには好ましくないとの行政指導があり正露丸と改められたが、奈良県の日本医薬品製造株式会社だけは現在も一貫して征露丸の名前で販売を続けている。
在日俄戰爭以及二次大戰結束後,為了國際信義,政策上不喜使用「征」一字,因此改為了正露丸,不過,奈良縣(Nara)的日本醫藥品製造株式會社,仍獨自一貫地以征露丸的名義繼續販賣著該藥丸。
lukhnos :: Nov.02.2006 :: litteris 字與詞 :: 3 Comments »
3 Responses to “家庭常備良藥的歷史…”
偶然經過,看到這篇有趣的文章。小弟幾年前也寫過一篇關於征露丸的文章,以解讀當時的網路傳聞(不過那時候因為沒有Wiki,所以比較辛苦:-D);有興趣的話可以參考一下。:-)
誰被征露丸欺負了?
傅兄,
久仰大名。感謝提供這一篇文章URL!
我對「征露丸」一詞的興趣,起源於多年前,就讀台大日文系的高中同學,跟我說起「露西亞 = 俄羅斯」,以及「正露丸」其實是「征露丸」一詞,而大感驚訝(當時還沒學到《Trivia》的「へっ!~~」句型):沒想到小小一劑藥方的商品名後頭,竟然反映的是這樣的歷史。
我只是很好奇,對於日文的native speaker,當她們看到「征露丸」一詞時,是否還會聯想到「征服俄國的戰艦」呢?
> 我只是很好奇,對於日文的native speaker,
我想應該只有一部份人知道吧;因為日文裡面本來有有一堆莫名其妙的「外來語→假名→漢字」怪名詞(例如「愛羅武勇」),每天唸唸也就見怪不怪了。
此外,因為這些用法頗有歷史,如果跟背景兜不起來的話,就算日本人也不一定想得起來吧;例如同樣跟「日露戰爭」有關係的「露助」(俄羅斯鬼子)‥‥。:-D